2月3日

 ヨシュアの子ギデオンは敵のミデヤン人を恐れ、隠れて酒ぶねの中で小麦を打っていました(士師記六・一二)。そこにみ使いを通し神からの声がかかりました。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」続いて「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」(同一四節)という召命の声、派遣命令でありました。
 しかしギデオンも、モーセ(出エジプト三・一一)やイザヤ(イザヤ六・五)、エレミヤ(エレミヤ一・六)と同じように「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」(士師記六・一五)という理由を以て懸命に断るのです。これが共通した人間の普通とる態度でありましょう。私は一体何者か、私はくちびるの汚れた者、私は若い者、私は弱い者、私は口が重い者、など様々な理由をもって、できませんと告白してしまいます。
 しかし主なる神は前記のように「あなたのその力で行け」と言われます。今、私たちがもっているその力でいいのだとおっしゃる全能の神様。そして「私があなたを遣わす」とも断言されます。ということは主がこれからの全ての保証人という事でもあります。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ四・一三)