2月27日

 忍耐とは「待ち望むこと」です。「あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。」(詩篇二五・五)。忍耐の模範は、何といってもイエス・キリストであります(使徒八・三二、イザヤ五三・七、ヘブル一二・二~三、第二テサロニケ三・五、黙示録一・九)。その他初代教会時代の信徒たちの忍耐は、黙示録一・九、二・二、三、一九、三・一〇、一三・一〇、一四・一二に記されています。ところがさらに忘れてならないのは「神の忍耐」(ローマ二・四、三・二五)ということです。
 「昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられた」(第一ぺテロ三・二〇)とある神が「あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(第二ペテロ三・九)と聖書は語っています。もし神が忍耐して下さらなければ、すでに遥か以前に主はその手を振り上げて、この世を一掃しておられたに違いありません。地球が壊滅に至っていないのも神の罪人に対する寛容さの結果であり、人間の不義と犯行と不真実にも屈せず、主である神は憐れみをもって、罪人たる人間を救わんと忍耐しておられるからです。「私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい」(第二ペテロ三・一五)。憐れみ深い神様が待っておられる間に、救いを一刻も早く受け入れようではありませんか。