2月23日

 主イエスは「わたしの時はまだ来ていません」(ヨハネ二・四)と言われました。それは受難の為のエルサレム入都の時が来ていない。という事は、定められた十字架上の死と栄光を受ける時がまだ来ていない。繰り返せば、十字架と復活による神の栄光の現れの時が、或いは、救いの計画がイエスによって実現、成就される時がまだきていないと、言われたのです。その時までイエスご自身は神の子であることに徹して教えとわざの遂行に集中されます。
 そして、この時は普通一般の時「ホーラ」ではなく、父なる神が定められた十字架にかかる時「カイロス」がまだ来ていないと言われたのです。主イエスは決して勝手気侭に行動なさいませんでした。十字架、復活にも全て正しい時、適切な時、絶好な時があったのです。
 伝道者の書三・一にも、「すべての営みには時がある」と記されている通りです。イエスといえども行動すべき時は、神の手中にあるとして自分の好みや判断で動かれませんでした。この仮庵(かりいお)の祭りの時が受難の時ではありませんでした。主はどこ迄も従順に神の御旨のうちを歩まれました。私たちにも、戦い、前進するすべてに時があり、あるいは退き、静まるに時があります。祈り深く主の御旨の中を適切に行動してゆきたいものです。グッドチャンスを生かしてゆきたいものです。