2月19日

 「この方(キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。」(使徒四・一二)
 この度の(一九九三年三月)イスラエル旅行中、エルサレム市内のある小さなパン製造中のお店に立ち寄りました。髭をはやした人もいましたが、たくましい男性数人がパン粉を練り、炉で懸命にたくさんのパンを次から次へと焼いていました。ふとある片隅を見るとコンクリートの床の上にゴザを敷いて、一人の男性が決められた祈りの時間がきたのでしょうか、イスラムのお祈りを捧げているではありませんか。善きました!作業時間中です。しかし、そのような行為が許される社会なのです。
 「嘆きの壁」横の洞窟の中ではユダヤ教の人たちがこれ又熱心にトーラー(律法の書)を読んでいました。エジプト、カイロ市内は完全にイスラム社会ですから、日本に多くの神社、仏閣が建てられているように、モスク(寺院の塔に月のマークが必ずあります)がここかしこに建てられています。世界は広い。ユダヤ教社会あり、イスラム教社会あり、東南アジアにはわが国と同じ仏教的社会ありです。
 日本国内でも宗教は多様性を帯びています。そうした中で日本のキリスト者は例え少数派(人口の一%)であれ、冒頭の聖句の確信にしっかり立って忍耐をもってひたすらイエス・キリストの福音を伝えていきましょう。そして異教国日本にも主のリバイバルの時の訪れを確信したいと思います。