2月18日

 主イエス・キリストはルカ九・五七以下で主に従っていくに際しての心備えを説いておられます。第一の人には、自分には枕する所もない位の厳しい生活を強いられることもあるが、それでもよいか、それでもついてきますか(同五八節)と問うておられ、第二の人には、向こうからの申し出はないけれども、イエスご自身から「私についてきなさい」と命令され、かつ相手の言い分を訂正しつつ、「あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい」(同六〇節)と今後の使命、任務を与えておられ、第三の人には、やはり従うのなら今すぐ、ぐずぐずせず直ちに従うのが弟子としてのあるべき姿だ(同六二節)といわれています。
 私たちも従うのは従うのだが、イエスの一言葉には素直にすぐハイと言えず、いろいろ理由づけしてのばしのばしにしてからようやく従うという面はないのか反省したいものです。
 優先順位第一は何といっても神の言葉、主イエスのご命令に対してであります。神の御国の宣教行為はクリスチャンにしかできないこと、他の世俗のことは未信者にでも出来ること。この区別をはっきりさせてただひたすらに主に従い続けていきたいものであります。
 しかしながら私たちがイエスに従うのは、決して自分の自由意思に反して無理矢理従うのではなく、どこまでも神の御子に対し畏敬と信頼と納得とをもって、喜んで即座に従うものであります。