2月13日

 「クムラン文書」について。一九四七年イスラエル死海西岸のクムラン洞穴中で、タアミレ族の一少年が偶然に古代の巻物を収めた「かめ」を見付けました。これこそ二十世紀最大の驚くべき聖書学的、考古学的発見でした。続いてその後一帯の十一の洞窟から出土された文献の総称で死海文書、死海写本とも言われます。ヘブライ大学の故E・スーケニック教授はその中の巻物の一部が本物の古写本であることを認めました。
 当時すでに、ツレヘム市の商人の手に売り渡されていましたので、長く困難な交渉の末、教授は「イザヤ書」「感謝の書」「光の子と闇の子の戦いの書」の完全な三巻を買い取りました。他の四巻、ハバクク書注解、宗規要覧、外典創世記、第二イザヤ書は一人の大司教によってアメリカに送られましたが、一九五四年イスラエルに買い戻す事ができました。現在これら永久保管所としてエルサレム市内に死海写本館(書物の神殿)が立派に建っています。なお、他の巻物の数千に及ぶ断片も発見され、ここに収められています。これらはエッセネ派が秘蔵していた文書の一部と考えられています。
 クムランは死海写本発見以前には全くかえりみられない土地でした。ここにBC一五〇年~AD六八年迄エッセネ派共同体の集落がありました。彼らはここで祈りと、瞑想に打ち込み、救世主の到来を待ち望んでいたのです。