2月11日

 AD六九年から一五五年頃まで生きたスミルナ(現在のトルコ西部)の主教、使徒教父でもあったポリカープ(Polycarp)は、二世紀中頃の小アジアにおける指導的人物で、ことに東方教会に大きな足跡を残しました。彼は八六歳で殉教死をとげました。その様子は彼の死後書かれた「ポリカープ殉教記」で知ることが出来ると言われています。彼はその殉教記からもうかがえるように、すでに現在の新約聖書の多くを所有していたということです。また正統信仰の堅固な擁護者でもあり、多くの異教徒を改宗させ、マルキオンなどの異端に対して大いに反論、反対致しました。
 ポリカープは異教の祭りの時に捕らえられ、審問されて背教を迫られましたが、それを断固としてこばみ、むしろ彼は「聖書の主なる神は良いことを私にたくさんして下さった。どうしてその方にわたしが背を向けられましょうか」と言って、堂々と火刑に処せられていったと教会史は伝えています。このように主の弟子ポリカープは最後まで、条件をつけず完全に主に従って参りました。
 主のご命令に、主のみ言葉に、また主なる神とその独り子イエス・キリスト様の御旨に打算、計算、保身術をのりこえて徹底服従して最後の勝利を得て参りましょう。そして、その従う精神は強制されてではなく、喜んで自発的に従うものでなければなりません。「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり…」(第一サムエル記一五・二二)