2月10日

 主イエス・キリストは、「私たちのために」(ローマ五・八)、「人間の罪のため」(第一コリント一五・三)、赦しのため、あがないの為に、十字架で身代わりの死を遂げて下さいました。このことは歴史上の一大事実であります。このキリストの贖罪死をのぞいてキリスト教は存在しないのです。
 ヘブル一・三「おのれ自らによりて、私たちの罪の浄めをなし」(永井契約聖書)て下さいました。この恵みの故に今日のキリスト者があります。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」(ピリピニ・六~八)
 その後、御子イエスは、大能者たる神の右に座しておられます。天の栄光の座についておられる生ける神の御子です。人の子として生まれ、全人類の罪の清めの業を終えて後、葬られましたが、三日目に墓から復活し、天に昇り、今は「高きところにおはす威光の右手に座し給えり」(永井契約聖書)という方でもあります。このキリストは、威光、尊厳を保っておられる方で、聖霊を注ぎ給う方でもあります(使徒二・三三)。