1月9日

 昔の諺に「すまじきものは宮仕え」という言葉があります。即ち、宮中に職をもつことは気苦労が多く、俗世間から隔離されて自由を束縛されるので奉公したくない、という意です。さてクリスチャンたちが、主なる神様とその体なる教会に仕える事とは一体どのような事でありましょうか。
 諸兄姉は皆それぞれ何らかの形で実はすでに主に仕えておられるのです。
 例えば教会では日曜学校、教会学校の教師として、ピアニストなどその他の楽器奏楽者として、礼拝その他の諸集会の司会者、奨励者として、週報、月報などのパソコン打ち、部外者へのトラクト配布、会堂清掃、送迎自動車運転、料理を作る、配膳・後片付け、講壇の花を整える、お手洗いの掃除、教会堂などの座布団・カーテンの整備、書・文字を書く人、ご老人・障がい者の方のお世話、新来会者への個人伝道などなどですが、それ以上に忘れてはならない奉仕は礼拝を守る、諸集会に参加して主を崇めるという仕え方であります。そこには未信者の人々が想像するような束縛・不自由さ・気苦労などはなく、むしろ自由・喜び・感謝・解放感が存在しているのです。
 「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」(ガラテヤ五・一三)