1月4日

 平和とは普通戦争の無い無事泰平の社会状態を指します。しかし新約聖書においてはマタイ一〇・三四、ルカ一四・三二、使徒二四・二、黙示録六・四などに限られ、他は旧約聖書のシャローム(平安)と同じ訳語でエイレーネ(平和)が用いられています。すなわちまず健康、無事を祈る日常の挨拶用語として扱われています。
 例えば主イエスが一二弟子派遣に際し、「その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい」(マタイ一〇・一二)とも言われています。また、イエス様は病人をいやした際に「娘よ…安心して帰りなさい」(マルコ五・三四)とも云われました。そしてヨハネ一四・二七にありますように、弟子達との最後の別れの時に「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」とも仰せられました。
 けれどもこの平安は平和の神からイエス・キリストのあがないの血によって与えられるものであります(ローマ五・一、エペソ二・一四~一七)。ですからキリスト者はキリストの平和に充たされ(コロサイ三・一五)、平和を追い求め(第一ペテロ三・一一)「地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」(ルカ二・一四)と祈らねばなりません。