1月30日

 「絶えず祈りなさい。」(第一テサロ二ケ五・一七)
 アマレクが来てレフィディムでイスラエル軍のヨシュアが戦った時、アマレクに勝つためにモーセは立ち上がって神に祈りました。モーセの祈りの手が重くなったのでアロンとフルは彼の両手を支えました。その答えがアマレクへの輝かしい勝利でした(出エジプト一七・八~一三)。
 また火が天より下り、民が「主こそ神です」(第一列王記一八・三九)と確信したのは、エリヤが神と交わった時でした。
 さらにヨナにとって、ニネベの人に悔い改めを宣べ伝える準備の時となったのは、深い海の底の大きな魚の腹の中で彼が祈った時でした(ヨナニ・一~一〇)。
 ダニエルが獅子の穴の中で救われたのは、彼はひとり神との時をもっていたからでした(ダニエル六・一〇)。
 ペンテコステの日に、弟子たちが三千人に神の国を宣べ伝えることができるように備えたのは、あの屋上の部屋での祈りによる待ち望みでした(使徒の働き一・一三~一四)。
 パウロをして総督ペリクスを震え上がらせ(使徒二四・二五)、アグリッパ王をして「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」(同二六・二八)と言わせたのは、彼が一人、神と過ごした祈りの時でした。
 スポルジョンをパウロ以後、最大の説教者にしたのも、また、今日ビリー・グラハム博士を大衆伝道者として最も用いられたのも、彼らが密室で神とじっくりと交わっておられたからだといえるでしょう。