1月3日

 エゼキエルは、「人の子よ。立ち上がれ。わたしがあなたに語るから」(エゼキエル二・一)という言葉を聞きました。それは、「わたしがあなたに語る言葉を民に伝えよ」という預言者としての召命の言葉でありました。主は彼をご自分の預言者として立てようとしておられました。預言者という役職は自分から握る職業ではありません。主から召され、遣わされて初めて預言者になるのです。旧約時代の預言者たちは皆そのような召命を受けていました。モーセはホレブ山の上で「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう」(出エジプト三・一〇)という言葉を聞きました。イザヤは神殿で同様の声を聞いています(イザヤ六・八)。エレミヤしかり。アモスしかりであります。
 主のみ言葉を人々に伝える人となる為には主の召命を受ける事が必要であります。けれども召命ということは、牧師、伝道師、宣教師だけにかかわる事のように思われますがそうではありません。罪から救われ主の所有とされたキリスト者は、主からこの世に遣わされていく預言者なのです。ですから、仕事において家庭生活において、学校生活においても主によって召され、そこに遣わされているという自覚が非常に大切です。今年も神のみ言葉を預かっている者として、この世に勇気をもって遣わされてゆきたいものです。そして神のご召命に立派に答えていく者となりましょう。