1月28日

 人間は自分を愛してくれる人と個人的な特別な時間を過ごす必要があります。愛は相手に関心を持ち、相手のために時間を使い、個人的な関係を持とうとします。親子、夫婦、兄弟、嫁と姑、あるいは友人、知人、師弟、上司と部下、恋人同士など様々な人間関係が存在します。
 しかし人は誰かと話したい、交際したい、心を割って話したい、すなわち他の事に気をとられないでじっくりと交わりたいなどの欲求がある訳です。所が家に帰って夫はホッとしてくつろぎの姿勢を取りますと、妻がやってきて一日にあったことのあれこれを事細かに話そうとします。しかし夫はうわの空で聞いていたとしたらどうなるでしょう。妻は大変失望します。妻の必要は夫からの答えや助言を聞くことよりも、ただ聞いてもらえれば、もちろんまじめな態度でですが、それで満足することが多い訳です。即ち、自分のその時の感情気分をそのまま受け止めてくれる人があるだけで女性はホッとします。
 そうではないでしょうか。主イエスは私たちの言いたいだけの言葉をどれだけ述べたとしてもじっと我慢して聞いてくださる方です。多くの時間を割いて下さいます。私たちも伝道する以前に、まず相手方の言い分を充分聞くための時間と場を持つチャシスを作ろうではありませんか。伝道する相手の場にこちらがまず立つことに配慮していきたいと思います。「聞くことは愛することです」と、或る本で読みました。