1月20日

 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。」(マタイ一三・三~八)
 キリストは高尚深遠な奥義を誰にも分かるように、たとえをもって語られました。けれども聞く耳をもたない者には、或いは偏見に目をふさがれた者には、どのような真理もすべて隠されていて、彼らには猫に小判、豚に真珠といった所で、何の価値も値打もないのであります。
 さて、道のかたわらに落ちた種とは、頑固、冷淡、無頓着、無関心、鈍感な心のもち主で、彼らはみことばの真理を悟れないのです。第二の土の薄い岩地におちた種とは、迫害や困難が起こると信仰の芽を出さない人、第三の茨の中に蒔かれた種とは、世の思い煩いや世の誘惑があるとそちらに心をひかれて、これまたダメになってしまう人。所が良い地に蒔かれた種とは、み言葉を聞いて悟る人で百倍、六〇倍、三〇倍の実を結ぶ人だというのであります。みことばの種が育つにふさわしい謙遜な心の持ち主となりましょう。