1月19日

 キリスト教信仰には、この世の中に対する伝道の希望があります。世の中を眺めれば混沌の中に崩れてしまうほかはない自滅的な狂気が一杯溢れています。これを救う唯一の方法は、全国民にクリスチャン魂を与える以外にありません。生けるキリストの救いがなくては世界は屍にすぎず、人々はいよいよ荒んで野獣になり下ります。しかし、人々が単純にキリストを我が心に受けいれ、信じるならばその瞬間から聖い心と変えられ、悪鹿は追い出され、希望が満ちてきます。
 キリスト教に絶望はありません。たとえヨブのように絶望的になってもその中から復活信仰をもって、なお神を求め叫ぶ力が不思議にわき出てくるのです(ヨブ一三・一五~一六、一九・二五~二七)。主なる神が私たちに与えて下さったのは現状をそのまま受け入れてしまう敗北主義ではありません。むしろ変革、変容させてゆくキリストにある希望と喜びであります。みなさん、汚れとサタン的思想に満ちたこの世に心と目を向けるのでなく、(そこには悲観と失望と恐れがあるのみ)むしろ希望の源である十字架と復活のキリストに目を注いでいこうではありませんか。キリスト信仰でこの世に勝利してまいりましょう。新約では、「望み」は信仰、愛と並べて重視されているのです(第一コリント一三・一三、コロサイ一・五)。