1月12日

 今日私たちが生きている時代は、非常に厳しい一面をもつ時代であります。或る哲学者は、今日の精神的状況を「夜の時代」「無思考の時代」又、「意味喪失の時代」とも定義づけます。これらは近代に入っての合理主義、人間中心主義、自己中心主義の終末的現象とも言えます。こうした時代はまた虚無主義(ニヒリズム)が横行する時代でもあります。
 即ち、一個人の力ではいかんともしがたいサタン的力の前に、人はともすると投げやり的な気分になりかねません。何をどう考えても無駄だ、どうもなりやしないのさ、自分一 人とにかく何とか生きて行ければそれでいいのさ。人生の意味など考えても仕方がないといった、言わば捨てゼリフを聞く時代でもあります。
 ここにキリスト教の福音の出る幕があります。イエス・キリストの福音こそ人々に真実の明日に生きる希望を与え、本来の人間の生き方を正しく教え、導く光であり、かつ沈んでいる者の浮動力でもあると確信いたします。心に闇を覚えねばならない時代にこそ益々生けるキリストにふれて二ヒリズムを克服し、むしろ神のみ栄えのために積極的に前進してゆきたいものです。キリストは自ら死人の中からの復活によって人間に生きる最大希望を与え、一大変化と転換を遂行なさったのです。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ二・二〇)