1月10日

 「どんなときにも御霊によって祈りなさい。」(エペソ六・一八)祈りは呼吸を意味します。息をするのと同じです。人は呼吸しなければ生きてゆけないのと同様に、キリスト者は主であり創造者である神の前に、絶えず祈り、願い、叫び、訴え、或いは感謝して生きているものです。祈らなければクリスチャン生活は持続できないのです。
 大変残念なことですが時折、せっかく洗礼の恵みにあずかりながら、その信仰生活が継続されない場合が生じますが、原因は色々あるとしても、根本原因は、やはり心からの祈りの欠如に在ることを認めなければなりません。
 どんな時にも絶えず主の約束の言葉を握って、信じて祈りつつ進みゆくならその行く手を遮るものは何もないと確信いたします。旧約聖書のダニエルは一日三度も、いつも実行していたように祈って勝利して参りました(ダニエル六章)。祈った故に恐ろしい獅子の穴の中からも助け出されました。祈るところから全ては始まり、祈ってあらゆることは成就してゆくのです。
 モーセはヨシュアに言いました。「出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」(出エジプト一七・九)そしてモーセは手を上げて日が沈むまで祈りました。遂にヨシュアは敵アマレクを打ち破りました(同一七・一三)。